1971年(昭和46年)3月、松阪市立幸小学校6年生の少年が、当時の吉田逸郎松阪市長(故人)に一通の手紙を送った。幼いころから鉄道ファンだった少年は、「引退したSLを松阪に呼んで欲しい」と、その願いを手紙に託しました。
当時国鉄(現JR)は動力近代化計画(無煙化)を進めており、蒸気機関車を廃止して電化やディーゼル化の最中で余剰廃車が多く少年の願いは叶い、この年9月亀山機関区で廃車となったC58型51号機が、同年11月20日松阪にやって来ました。そして市民の憩いの場でもある市中心部の松阪公園内に静態保存されました。 このときに市民公募で「くろすけ」という愛称がつけられました。
少年は市立殿町中学校1年生になっており、市の許可を得て学校が終わると毎日のように友人たちと清掃や整備も行い、「もっと格好良く」という出来心でお召し列車風に塗装を変えたりしたそうです。しかし高校入学と同時に故郷を離れ、その後実家も引っ越したために松阪とは疎遠になってしまいました。
その後1991年(平成3年)2月、くろすけは松阪公園から中部台運動公園へ移設されました。
2009年5月、中部台運動公園管理事務所にひとりの男性が訪れ「くろすけを少しでも現役当時の姿に戻してやりたい」と作業許可を申し出ました。 この男性が38年前くろすけを松阪に呼んだ少年、杉山牧夫氏(現在東京都在住、会社員)だったのです。長い歳月が経ち大人になっても、中学生時代に少し派手な塗装にしてしまったことをずっと気に病んでいたそうです。 このときから毎月一回すべて私費にて、東京から故郷松阪への週末一泊二日の修復作業が始まったのです。
「いつまでも子どもたちの目を輝かせ続けて欲しい」 そんな願いをもって
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